取り出し授業
支援対象の児童の中には、教室での授業についていけないという理由で、特定の科目で取り出し授業が行われる子がいる。
自分もそういった子たちに対して少人数制指導を行ったりしているが、しかし、同時になぜこの子たちはみんなとは違う場所で授業を受けなければならないのだろうかと考えてしまう。
そもそも能力の差は、絶対にどんな場所でも発生してしまうものだ。
将来どこで働こうと、能力の差は多かれ少なかれ発生するし、また場面や分野によって人それぞれの能力は変化するものだ。
つまり、人は能力の差を超えた協同のあり方をまず学ぶ必要があるということになる。
しかし、自分が目にしている支援のあり方はそれとは全く逆だ。
能力がないからと言って、違う場所に行かせる。
もちろん、特別な配慮の内容が、通常学級で行えないようなものならば仕方がない。
しかし単に勉強についていけないというだけで、別室で学ばせるというのは全くのところ理解できない。
そんなことをやったって、勉強ができるようになるわけではないのに(むしろ徹底的に自尊心が失われるだけだ)。
能力の差は絶対にどんな場所でも存在するし、未来永劫それは存在する。
しかし、いま人間が求めているのは、能力の差によって左右されない「幸せ」のかたちのはずだ。
だからこそ、未来を作っているはずの教室は、能力の差なんて全く問題にならない場所であって欲しい。