世の中

教育などについて考えたことを書きます

疎外

昨日は校内で研究授業が行われた。
6年生の国語で、単元は『やまなし』。
『やまなし』は大好きだし、その先生の授業は考えてみればほとんど見たことがないので、足を運ぶことにしたのだけど、予想以上の授業内容で、驚かされた。
主発問は、“宮沢賢治はなぜ「やまなし」を題名にしたのか”。
セオリー通りだが、それまでの授業展開が綿密だったのだろう、子どもたちはグループワークを通じて次々と鋭い意見を出していて、唸らされること数回。
自分はこんな授業絶対にできないだろうなあと思うばかりだった。


しかしその一方、頭に浮かんだのは、自分がよく知っている支援の子どもたちのことだった。
彼らはこの授業を、クラスのみんなとは一緒に受けることはできない。
その理由は子どもによって違うが、とりあえず彼らは今のところは、同じ授業を受けることはできないのだ。
その疎外感っていったいどのぐらいなんだろうか。
そして、彼らの抱える問題の多くは、実のところその疎外感から発生していたりする。
そして、その疎外感に起因する問題は、その子の一生に付きまとっていくはずなのだ。


学校が、そこにいるすべての子どもたちの幸せを保障できるときはくるんだろうか。
結局、すべての試みはそこに繋がってくるのだと思う。