世の中

教育などについて考えたことを書きます

Childiscについて その1

こういう、自分の人生に対してとても大きな影響を及ぼした音楽について改めて何かを書くというのはけっこう難しい行為だったりするのだけど、ちょうどいま時間が有り余っていたりするので(他にも理由はあるが)、よい機会だから書いておこうと思う。

 

Childiscとの最初の出会いは、Childiscの1枚目のコンピ『Childisc Vol.1』(1998)だったはずだけど、そのときのことはほとんど覚えていない。むさぼるように聴く、みたいなことは全くなかったことは確かだ。とりあえず、当時の自分にとってあそこに収められたサウンドは、どれも「なんだかよくわからないもの」でしかなかった。

Childisc Vol.1

Childisc Vol.1

 

 もともと自分は竹村延和のファンで、特に1stアルバム『Child's View』(1994)に受けた衝撃というのは非常に大きなものだった。クラブジャズをベースに構築されたこのアルバムのもつ完成度や普遍性あるいは神聖性というのは、聴いたことがある人ならすぐにわかるだろうが、とにかくもの凄いもので、「こんな美しい音楽が世の中に存在するのか」というぐらいの驚きを抱いたことを今でもしっかり覚えている。「もう他の音楽なんていらない」なんて、当時の自分は考えたぐらいだった。

Child's View
 

そのアルバムからしばしの沈黙を経て、竹村延和は1997年に2nd『こどもと魔法』を発表し、その後Childiscというレーベルを始動するのだけど、正直なところ当時の自分にとって、Childisc以前に『こどもと魔法』というアルバム自体、どう受け止めれば良いものなのかわからなかった。簡単に言えば『こどもと魔法』は、実験的な電子音楽や現代音楽の手法に支えられたアルバムで、その印象はクラブジャズやブラジリアンジャズの要素を散りばめた『Child's view』の洗練された印象とはまるで異なり、そのあいだで起こった変化にどうしてもついていけなかったのだ。当時の自分は2つのアルバム間の落差に、失望感さえ抱いていたように記憶している(そして結局その落差を埋めきれなかったリスナーは多数いるようだ)。

こどもと魔法

こどもと魔法

 

失望感すら抱いてしまっていた当時の自分だったが、それでもまだ竹村延和に対する期待というのは消えていなかった。そしてその期待は自ずと彼が立ち上げたレーベルChildiscに向かうことになるのだけど、最初にリリースされたコンピ『Childisc Vol.1』もまた、残念ながらその期待(つまり、昔のようなクラブジャズの洗練された音への期待)を見事に裏切るものだった。当時の自分にとってこのコンピに収められた楽曲のサウンドは、くぐもっていて、よくわからないものでしかなく、音楽として捉えることすら難しかった。そこで受けた落胆はとても大きなものだった。

 

とは言え、それ以降、谷村コオタやアキツユコ、スッパマイクロパンチョップなどの作品を通じて、自分は少しずつ竹村延和がChildiscに込めた価値観や美意識といったものを理解していくことになる。考えてみれば音楽を聴くに当たって、こういう失望や落胆というのは非常に大きな意味をもっているのではないだろうか。そこには自分が理解できない・触れていない世界が存在しているわけで、失望や落胆といった感情がある場所にこそ、新たな出会いが用意されていると言うこともできる。音楽を聴くという行為はその新しい世界への扉を叩き続ける行為の連続であるはずなのだ(まあ、そうじゃない人も多数いるだろうけど)。

 

ということでしばらくこの話は続きます。