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Childiscについて4 竹村延和関連の話

前にも書いたけど、当時クラブサウンドのイメージが強かった竹村延和が『こどもと魔法』で見せた変化というのは非常に大きいものだったし、ましてやその後Childiscで展開したローファイでアマチュアリズムあふれるサウンドは、彼の洗練された側面を好んでいたリスナーにしてみれば、全然理解できなかったものだったんじゃないかと思う。そういう自分だって、当時はなかなか理解できなかった。

もともと竹村延和のキャリアはクラブDJとしてスタートしていて*1、その後、自身のソロ活動やSpiritual Vibesなどでのバンド活動を展開していくことになるのだけど、その、ブラジリアンジャズに強い影響を受けた洗練されたサウンドは、当時流行していたアシッドジャズシーンなどと連関しつつ、主にはクラブシーンで高い評価を得ていた(と思う)。 そして、その集大成として位置づけられる作品が1994年に発表された1stソロアルバム『Child's View』であったりする。

アルバム『Child's View』の完成度については、もはや説明する必要がないと思うし、それは実際に聴いてもらうのがいちばんだろう。ブラジリアンジャズやヒップホップなど、彼がルーツとしている音楽の要素をちりばめつつ展開されるそれら楽曲の美しさというのは、当時本当に群を抜いていたし、いま聴いてもグッとくる瞬間が何度もあって、その普遍性を実感するばかりだ。

『Child's View』発表以降、竹村延和は『Child's View Remix』やSpiritual Vibesのアルバム『ことばのまえ』などを挟みつつ、1997年に『こどもと魔法』を発表することになるのだけど*2、先にも触れたが、このアルバムで起こったサウンドの変化というのは、彼のクラブサウンド面に魅力を感じていた人たちにとっては非常に大きいものだった。当時の自分も、いわゆる実験的な電子音楽や現代音楽の手法にはほとんど慣れ親しんでいなかったので、このアルバムがいったい何をやろうとしているのか、ほとんど理解できなかった。さらに、翌年に始動した彼の個人レーベルChildiscのサウンドはそれに輪を掛けて理解できなかったわけで、しつこいようだが、当時はホントにいったい何なんだろうかと思うばかりだった。

とは言えそういう「わからない」状態がつくられるというのは、いま思えば本当に幸せなことだったと感じられる。竹村延和やChildiscに限ったことではなく、他の音楽全てにいえることなのだろうけど、音楽を深く聴いてく過程において、「わからない」という状態があるというのはとても大切なことだ。そういう状態というのは、例えば好きな音楽家の作風の変化や、あるいは誰かの批評と自分の感想との乖離だとか、つまり自分の期待にそぐわない状況から発生するものだと思うけど、そういった「わからない」状態をしっかり受け入れ、真正面から取り組めるかどうかは、その人の音楽人生がより豊かなものになるかどうかの分かれ目だったりする。取り組める人はやはりその機会をどんどん活用して自分の音楽の枠を広げられるだろうし、取り組めない人は結局その枠を広げることはできないままだろう*3。自分の場合、竹村延和やChildiscがその大きな機会だったわけで、彼らの音楽を聴くことを通じて、もっともっと音楽というものに広く触れることができた。つまり、自分にとって竹村延和やChildiscの音楽は、音楽を聴き、それを理解していくことのプロセスそのものだったりする。そしてそういったプロセス重視の音楽観は、Childiscの成り立ちそのものであるとも感じる。

For tomorrow

For tomorrow

 

ところで、変化変化と何度も繰り返しておきながら何だが、本当に竹村延和がそこまでの変化をしたのか、ということ自体、検証を行う必要があるというのが自分の考えで、例えばスッパマイクロパンチョップが自作曲の入ったテープを竹村氏に渡したきっかけは、そもそもスッパマイクロパンチョップが1st『Child's View』の大ファンだったことにあるように、そこに大きな断絶というのは実は発生していない。おまけに竹村氏はそのサウンドに大きく共感し、ふたりの出会いがChildisc発足のきっかけとなったことを考えれば、何もかもが必然だったように思える(詳しい経緯はこちらで)。

何よりも留意すべきは、当時の竹村延和のもとにはたくさんの才能が偶然にも集まったわけで、そのきっかけは1st『Child's View』にあったということ、さらにその才能を見出したのが竹村延和だったということだ。そこから考えれば、彼の音楽に起こったとされる変化というのは結局のところ表面的なもの、ジャンル的なものであって、本質的な部分では何も変わっていない、ということになるのだけど、そこら辺の話はまた今度します。

SPIRITUAL VIBES

SPIRITUAL VIBES

 
tender blue

tender blue

 

*1:ちょうどその頃の日本はクラブ黎明期で、竹村延和は毎晩のようにDJをしていて、自分の時間をほとんどもてなかった(らしい)。ちなみに音楽制作は中学生時代にさかのぼる。

*2:初期作品についてのレビューはいずれ別の機会に

*3:Studio Voiceのいつかの号で、竹村延和の音楽性の変化を「アシッドジャズから逃げ続けた」なんて評している文をみたことがあるが、そういう捉え方は本当に貧しいと思う。非常に残念。