世の中

教育などについて考えたことを書きます

テレビに出ている人をけなすこと

姪っ子甥っ子たちが帰って、ようやく静かな年始を堪能している。
しかしいったい、いつから正月はこんなにもうるさいものになってしまったんだろう。
辛いのは子どもの声ではない、テレビから流れてくる音だ。
お笑い芸人の叫び声や、歌手の馬鹿でかい歌声など、あまりにtoo muchでずっと頭痛がひどかった。
もちろん、そんなもの今に始まったことではないが、今回はなぜか今まで以上に辛く感じられた。
まあ、単純に前のことを忘れているだけかもしれないけれど。


今回とても気になったのが、姪っ子甥っ子たちの、テレビに対する文句だった。
例えば自分の気に入らない歌手の人が出てきたら、キモイ、バカ、みたいな悪口を延々と口にし続ける。
一方、自分のお気に入りの歌手が出てきたら、ずっと画面に釘付け。
こっちにしたらどちらもほとんど差はないように見えが、きっと彼らにしたら大きな違いなんだろう。
しかし、それでも彼らが終始つき続ける悪態は度が過ぎていたし、聞いていて辟易するばかりだった。
もし学校でこんな物言いをしている児童がいたら、きっと厳しく注意していただろうなあと思う(まあ、公的空間と私的空間の違いはあるが)。


彼らのそういう言動の裏にどんなことが窺えるのかはわからない。
現代特有の何かが隠されているのかもしれないし、昔からある現象なのかもしれない。
そもそも大人だって同じように、テレビに出ている人のことを意味の分からない理由で徹底的に貶めたり、あるいは会ったこともないのに「性格が良い」なんて一方的に持ち上げたりする人はたくさんいるのだから、子どもの言動だけを切り取って取り上げるのは不公平とも言えるのかもしれない。


ただ思うのは、子どもたちがそうやってテレビに出ている人のことを、容姿や歌の上手い下手を理由に徹底的に貶めたり、あるいは自分の理解できない表現をキモいというひと言で切り捨てたりするのは、彼らの将来を考えれば、はっきり言って全然得策ではない、ということだ。
そういう言動は、巡り巡って彼ら自身の立場を危うくしてしまうことに繋がってくるわけで、場合によっては差別構造を再生産することだってあるだろう(ていうか、もう既に生産してしまっている)。
その恐ろしさを知っているからこそ、子どもたちの悪態をつく姿が、自分はこんなにも気になってしまうんだろうなあと思う。
そしてこれって、『学び合い』で言う、「得」か「徳」か、という話にも繋がってくるんだろうなあと思う。
テレビに出てくる人をけなさないことは、「徳」ではなく「得」なのだ、それも圧倒的に。
とりあえず、それを教室の子どもたちに伝えられる教師になれるよう頑張りたいと思う。