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スッパバンド『KONTAKTE』から描く自由の理想的状態

昨日の音遊びの会についての記事で少し触れたので、今日はスッパバンドのことについて。

 

自分とスッパバンドとの出会いは、バンド結成からまだ間もない頃のことだったと思う。2005年7月18日の海の日が初ライブであり結成の日なのだから、おそらくそれぐらいのことだろう。バンドの中心人物であるスッパマイクロパンチョップのことはそれ以前からよく知っていて、ああ遂にバンド活動を本格的に始めるのだなあと、大阪の地から彼のネット上の日記を通じてその様子を窺っていたものだった。

 

それ以来、東京や大阪などで繰り返しライブを目にすることになってきたわけだけど、スッパバンドは昨日の記事でも書いたように、束縛された自分を解放してくれる数少ないバンドであったりする。それはもう不思議なぐらい、すっぽりと自分の心の枠の中に当てはまる感じで、最初のたった1音を耳にするだけで、日頃の生活のなか濁ってしまった頭の中がすっきりクリアーになるような感触なのだ。こんな気分を味わわせてくれるバンドというのはそれほどないわけで、そういった意味で、スッパバンドはやはり自分にとって特別なバンドなのだろうなと思う。

 

スッパバンドの魅力は、昨日の記事でも少し触れたけど、やはりその自由さにあるのだと思う。 スッパバンドのメンバーは、とにかく自由だ。ステージの上で、彼らはそれぞれが自分の好きなことをやっている。もちろん曲は演奏しているし、楽曲は確かにこちらの耳の中では成立している。だけど同時に、彼らは自分のやりたいことを勝手気ままにやっているだけのようにも見えるし、時に互いの演奏に無頓着過ぎるんじゃないかと思えるようなことすらある。だけど逆にその絶妙なアンバランス感が見ていて気持ちが良いし、また音楽的な部分においても楽曲に即興的な要素を付け加えることになり、スッパバンドの唯一無比な感触を作り上げる要因になっているのだろうなあと思う。

 

昨日も触れたけど、ある種の音楽というのは、<個人の最大限の自由>と<全体としての調和>という理想的な状態を実現できる力をもっている。それはあくまでステージの上だけ、楽曲が終わりを迎える瞬間までのことでしかないが、しかし限定的にせよそういった瞬間というのは、音楽を通じて実現される。もちろん、人が音楽に求める要素はそれぞれ全然違うのだろうし、自分自身、たった1つの要素だけで音楽に求めていることの全てが説明できるわけでもないと思うが、しかし自分自身をふり返ったときに、やはり先に述べた理想的な状態を音楽を通じて体感したい、という欲求は非常に強い。そして、その瞬間に立ち会えたときの喜びというのは非常に大きい。スッパバンドや音遊びの会のライブは、その瞬間を体感させてくれる数少ない機会だ。彼らのライブを観ると、自分自身がいかに不自由な状態で日頃の生活を送っているのかを思い知らされるし、彼らの音楽を通じて自分の<自由の相互承認>への感度はびんびんに高められる(同時に、現実のもつ残酷なほどの冷酷さについても、思い知らされることにもなるのだけど)。

 

特にスッパバンドについては、そのメッセージ性において常に<こういうやり方もあるんじゃないか>というような提案が含まれていて、それもまた自分にとって大切な要素だったりする。そのメッセージ性は曲の構造、歌唱方法、歌詞、そしてバンドの立ち振る舞いなどバンドのもつあらゆる要素の総体としてこちらに届いているのだけど、その、いわゆる<自由への提案>は自分自身のあり方をいつの間にか縛り付けている自分自身を気づかせてくれるし、そうじゃない自分のあり方を思いつかせてくれる。

 

そして、それはスッパバンドに限ったことではなく、そもそもスッパマイクロパンチョップのつくる音楽全てに共通する要素だったりするのかもしれない。最近開店したスッパマイクロパンチョップのレコード店「レコード水越」(注:リンク先、音が出ます)のサイトには、下の方にちゃっかり大きく<こんなんあり?>という言葉があったりするのだけど、この言葉はまさしく彼の音楽性を指し示しているのではないだろうか。そして自分のような不自由な考え方・生き方しかできない人間にとって、これだけ勇気づけられる言葉もない。

 

音楽という表現に求めるものは人それぞれ違うだろうし、たった1つだけで音楽の全てを語れるわけでもない。だけど自分が、まだこれから先、音楽を聴いたりライブに出かけたりし続けることに意味を見出そうとするならば、やはりその<自由の理想的状態>を体験したい、という欲求が大部分を占めるのではないかと思う。自分は音楽を通じて、自由の理想的な状態を体験したいし、その体験を糧にして日常を生きていきたいのだ。そしてある種の音楽は、今後そういう役割を自ら意識的に担っていくべきだと思うし、そういった音楽を通じて提案された自由のかたちが、そろそろ社会全体を通じて実現されていかなくてはならないのではないだろうか。そうじゃなくちゃ、そろそろやってられないしね。

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