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レコード水越 presents『でたらめ音楽教室課外授業・第1回』に出席する

12月11日に三鷹おんがくのじかんで行われた、スッパマイクロパンチョップによる手作り移動レコード店レコード水越 による音楽教室『でたらめ音楽教室課外授業・第1回』に出席した。

このイベント、簡単に説明すると、スッパマイクロパンチョップによるDJを聴いて、かつそのあと音についての感想をお客さん同士で共有する、というような内容なのだけど(詳細はこちら)、これが非常にスリリングな体験であった。

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とりあえず驚いたのが、会場のかたち。会場の三鷹おんがくのじかんにはステージがあって、客席はそのステージに向かって配置されていたのだけど、音を出すために使うCDJは客席の背後にあるので、肝心の講師であるスッパマイクロパンチョップは客席の後ろにいることになる。つまりステージの上には誰もいない。観客は誰もいないステージに向かって音楽を長時間聴くことになるのだ。これには参った。大興奮である。

自分は常々、ライブ会場における権力の構図について不満を感じていて、これはジョン・ケージの『4分33秒』におけるステージ—聴者という関係に対する異議申し立てと同じようなところがあるんだけど、つまり音楽は基本的にライブ会場のどこにいても聞こえるにもかかわらず、なぜか演奏者がいる場所(=ステージ)の方を皆が揃って向かなければならない、ということに違和感を感じてきたところがあるのだ。自分は純粋に音楽と対峙したいだけだというのに、ライブ会場に足を運べば、皆一様に演奏者の方を向いて、まるで演奏者自体が音楽であるとも言わんばかりに、演奏者の一挙手一投足を見つめる。時には盛り上がるべき場所を演奏者が身振り手振りで観客に対して指示することもある(衝動的なものだったらわかるのだけど)。もちろんライブなのだから耳だけでなく目でも楽しみたいというような欲求は理解できるし、視覚情報が音楽の理解の手助けとなる場合だってあるだろう。だから全てを否定するわけではないが、しかしその一方、演奏者の動きが暗に盛り上がるべき場所を示していたり、音楽と演奏者が同義ともいえるように扱われる瞬間に立ち会ってしまうと、まるで自分が権力の構図に巻き込まれているような感じがして、居心地が悪くなってしまう。つまり、ステージ上の演奏者と聴者という関係性にがんじがらめになって、肝心の「音楽—聴者」という2点のみで構築される純粋な関係に全く辿り着けないような、そんな気分になってしまうのだ。

その点、DJの出現はとても画期的だった。DJは録音物という、音を演奏者から徹底的に引き離したもの「自体」を用いて音を鳴らす行為である。そこには真の演奏者はおらず、あるのは音楽だけ、という状態に限りなく近い状況をつくり出すことに成功したのだ。とは言え結局、DJという技術に目が行くようになったり、あるいはVJというものが出現して、純粋に音楽とだけ対峙できるような空間はすぐさま消えてしまったのだけど。

話を元に戻して、まず自分がでたらめ音楽教室課外授業で最も驚いたのが、誰もいないステージに向かって音楽を聴く、ということだった。本当に誰もいないのだ。いるとしたら、それは「音楽」ということになるのだろう。つまり、演奏者から全く切り離されたかたちで音楽だけがドンとステージの真ん中に鎮座して、こちらに向かっているとも同義なのだ(ちなみに当日のステージの真ん中には机とマイクが設置されていた。これもまた、気分を高めてくれたのだと思う)。これはもう大興奮である。その構図において、権力者など誰もいない。完全なる反権力。

おまけに凄いのが、丸々2時間ノンストップでDJを聴き続けたということである。本当に、2時間ぶっ続けでイスに座って、ただ音楽を聴き続けたのだ。2時間というと長く感じられるが、これがそれほど長く感じられない。時間の流れが歪んでしまうという感じだろうか。思い出したのがむかし大阪で観た竹村延和&アキツユコの『響』というイベントでのライブで、そのときも同じようにイスに座って長時間のライブを聴いたのだけど、時間の感覚がかなり歪む感じで、そのときの感覚とけっこう近いものがあったような気がする。

スッパマイクロパンチョップのDJについては、物音や環境音・ノイズなどの抽象的な音たちが立体的に配置されたもので、実は演奏後にメインの音源CDRがディスクエラーで読み込めなかったことを明かされるのだけど、そんなトラブルなど微塵も感じさせない完成度であったと思う。妙に思い出したのがアンドレイ・タルコフスキーの映画で、とは言え映像を思い出したというよりも、タルコフスキーの映画の音の感触に非常に近かった、ということなのだが、それぐらい抽象度の高い、かつ詩的なサウンドスケープが展開されていたということなのだろう。

DJプレイの終了後には、今度はなんと2時間に渡って感想の交換タイムが行われ、数人のお客さんがステージに出て、感想やライブ中にメモしたことを口にしたりしたのだけど、ちなみにそこでようやくステージの真ん中にある机の前に人が座ることになる。つまり、完全にステージはお客さんのために存在しているのだ。この点においても、演奏者中心のライブ形態に対しての強烈なアンチテーゼを示しているかのようで、大興奮だった。途中、なぜか浜崎あゆみの話になったりと、話題は多岐に渡ったが、ああして他の人の音楽の捉え方を知ると、自分の音楽の聴き方に幅をもたらすことができてとてもよいと感じる。ちなみにお客さんがメモ帳にメモした言葉はでたらめ音楽教室のTwitterアカウントで読むことができます。

ということで、まだまだ発展途上な部分もありますが、同時にたくさんの可能性を感じさせるようなイベントだったなあと思います。もっと純粋に音楽に対峙したい、あるいは音楽を聴くだけじゃ物足りない、音楽を通じて人ともっと繋がりたい、そういう欲求がある方は是非とも参加してみて下さい。第2回目は1/29(水)とのことです。

【追記】

12月13日、当日の講義内容がMixcloudにアップされたました。