加藤吉樹さんのライブに行ってきた
加藤吉樹さんのライブに行ってきた。
加藤吉樹さんに出会ったのは、iPhotoの情報を信用するならば、2005年のことになる。
とんでもなく昔のことで、半ば信用できないところもあるのだけど、たぶんパソコンの言うことなのだから正しいのだろう。
出会ったきっかけは、スッパさんの歌い弾きツアー。
吉樹さんは、そのときスッパさんの歌い弾きにギターで参加していたのだ。
前半はスッパさんが1人で歌い弾き、そのあとに吉樹さんがギターで参加、というような形だったんじゃないかな。
僕は吉樹さんのギターを凄く気に入って、そのあと一度ライブに出かけたことがあるはずだと思う。
吉樹さんが以前は東京に住んでいて、スッパさんのライブやアルバムに参加していたことを知ったのもそれが切っ掛けだった。
『Solo Guitar Improvisations』という即興アルバムも買って、よく聴いていた(この前つくったミックス音源でも曲を使わせてもらった)。
僕からも何枚かのギター関係のアルバムをプレゼントしたような覚えがある。
それから数年後、僕は東京に移住することになるのだけど、2010年3月に、足を運んだ音遊びの会東京公演『音の危機一髪』にて、自分はステージ上に吉樹さんらしき人物を見つけることになる。
あれこの人、もの凄く吉樹さんっぽいなあ、けど弾いているのがギターじゃないし、どうなんだろう、なんて気になりつつも、終演時の巨大風船やスモーク大砲で演出される光景があまりに天国みたいで、気持ちよくなって、うやむやのまま帰途に着いてしまったのだった。
それからまた数年、再開したFacebookで偶然吉樹さんの姿を見かけ、あ吉樹さんだと思って最近の活動を見たら、音遊びの会のことが書いてあって、ああやっぱりあれは吉樹さんだったんだと思って、友だちリクエストをしたのがついこの前のこと。
ちょうど、音遊びの会イギリス公演の模様がNHKで放映されて、このブログでそれを取り上げて、大友良英さんに紹介されたあとで、あーなんか繋がってるなあというような感じだった。
音遊びの会については、自分の教育観に深いところで影響を及ぼしていて、特に障害と健常を巡る思索については、得るものが大きかった。
あの出会いがなかったら、今の自分だってなかったと思うなあ。
久しぶりに会った吉樹さんは、年末に髪を切ったということで、なんか別人みたいで、ウードを弾く姿も自分にとっては初めてで、なんだかとても新鮮だった。
トルコやマケドニアなど東欧の曲のカバーが中心だったけど、吉樹さんのオリジナル曲も数曲あって、そこで聞こえるフレーズが昔と全く変わらず、また同時に自分の心の中にある音風景ととても近くて心地よかった。
最後の曲では曲の中で言葉を呟く箇所があって、吉樹さんにウードを習っている女性の方が驚いていたけど、ギターインプロのイメージが強かった自分にとってはごく普通のことだったりで、終演後、その印象の違いを口にしあったり。
弾かせてもらったウードは思ったより軽くて、とても良い音色だった。
フレットがないのでどこを押さえればいいのか目で見てもわからなくて戸惑ったけど、逆に言えばそれは音階にこだわらず自分の耳の感性に従えば良いだけということでもあり、自分みたいな人間にはぴったりな楽器なのかなあとも思った。
東欧の音楽は、まだまだ全然未開拓だけど、ユーゴスラビアの音楽とか聴くと奥に潜む強烈なダンスの衝動だとか、鳴りへの陶酔みたいなのが感じられて、とても共感するところが多い(この前つくったミックス音源でもつかっていたりする)。
ということで、大阪に戻ってきて初ライブに出かけられて、よかったなあと思う。