世の中

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ハートネットTV「音遊びの会」第2回 同じ地平に立つということ

 ハートネットTV 即興が世界をつなぐ ―大友良英と「音遊びの会」の仲間たち―

第二回 同じ地平に立つということ

 
いやー昨夜のハートネットTV「音遊びの会」第2回は本当に良かった。
第1回も良かったけど、第2回は音遊びの会の貫く価値観をかなり深い部分で露わにしていて、その点においてかなり意義のある内容だったんじゃないかと思う。
また同時に、ロンドンの音楽療法士の方々の優れた手法なんかも非常に勉強になった。
そして、自分が大切にしたい価値観を再確認する機会にもなったと思う。
 
まず一行はロンドン郊外にある音楽療法の専門機関「ノードフロビンズセンター」に赴き、そこで音楽療法士たちの「創造的音楽療法」なるものを体験するのだけど、これがまず非常に驚きだった。
最初に行なったのは合唱なんだけど、演奏は即興。
障害者の反応を見ながら、その場で曲を展開させていくのだ。
次の合奏のプログラムでも同じような手法をとっていて、つまり簡単に言えば「音を鳴らし」「その音に反応した人を見つけ、その人を核とする」「そこから曲を展開させ」「さらにそこに他の人を参加させて曲を広げていく」というような感じだろうか。
番組内でも指摘されていたけど、子どもの反応の引き出し方、広げ方、巻き込み方というのが非常に上手い。
強制することぬきに、ああやって子どもたちのちょっとした反応を拾い上げて、活動をどんどん展開していけるというのは、かなりのトレーニングを重ねないとできないことだ。
音楽療法という分野に限らず、彼らの手法は参考になるんじゃないだろうか。
 
それに対して音遊びの会も自分たちの方法を見せる。
番組内で取り上げられたのは図形楽譜を使った演奏。
ロンドンの音楽療法士の方々の楽しそうな顔が印象的だった。
ただなんとなくこのときに感じたのが、ロンドンの音楽療法士と音遊びの会とのアプローチの違いで、前者が「子どもたちの反応を引き出す」ということに重点を置いている一方、音遊びの会の場合は、即興演奏者と子どもがあくまで同じ演奏者として音楽と対峙する、という手法をとっているんだよね。
まあ、音遊びの会の場合は長い時間ずっと一緒に活動してきたという部分もあるのだろうけど、そのアプローチの差というのはけっこう大きいのではないかと感じられた。
ちなみにどちらが良いとかそういうことではない。
 
最後はBeatlesの『Hey Jude』に、みんな楽器や踊りなど、それぞれの方法で参加するのだけど、その様子は音遊びの会らしさが非常に出たものだったと思う。
みんな自由に振る舞いつつも、しっかり曲として成り立っている。
大友さんの「今のは本当に自然に壊すでもなく共存してんだよね。あんな状態作れないよ普通。全体を貫く何かがあった」という言葉にも表れているように、音遊びの会の魅力ってそこで、つまり個々の人間が勝手気ままに振る舞っているにもかかわらず、全体としてひとつの調和を見せている、というところにあるのだと自分は考えている。
すなわち、個と全体の両立という理想の状態を、自分は音遊びの会を通じて実感することができるんだよね。自由の相互承認が最大限に働いた理想の状態、と言い換えても良いのかもしれない。
自分の場合、音遊びの会以外の音楽であっても、そういう状態・価値観を感じられるものに惹かれるし、そもそもそういう状態に興味があるからこそ音楽を聴いているのかもしれない、とも思う。
 
活動のあと、イギリスの音楽療法士スチュワート・ウッドさんはこう述べていた。
「共に音楽を作ることは、本当の相手を知ることとなる。
いちばん素晴らしいのは、誰かが偉いとか、違いや優劣が存在していないというところです。
人が生きる姿は音楽を介するかどうかで変わってくると思う。
音楽を介することで僕らの持つ偏見による違いは生まれにくくなる。
だけど僕は音楽を介さない世界でもみんなが平等に生きる姿を見てみたいよ」
 
この言葉、特に最後の部分は、音楽を通して理想の社会のあり方を思い描いてきた人間にとっては本当に嬉しい。
 
さらに大友さんの言葉を引用する。
「音遊びの会が面白いなって思ったのは、上から目線になりがちがところとの戦いだよね。
どうやれば子どもたちと自分が対等な関係になれるか ずっと考えてきたと思う。
それが豊かさってことだと思ってて。
もっと社会に翻して考えちゃうと、音楽じゃない現場でもだよ。
例えば足の不自由な人が、この階段上るの大変じゃないですか。
それであそこにリフトみたいなの作ってるわけじゃない。
階段上れる人だけしかいない社会じゃないっていう。
それは人種であれ、なんであれ、一緒だと思うよ。
男しかいない社会じゃないでしょ。
子どもだけの社会でもない、色んな人がいる。
階段を上れるっていうのは、その中の大多数かもしれないけど、全体じゃないって考えたときに。
じゃ階段上れない人にはどうしたらいいかって考えるのが豊かさだと思う。
音遊びの会の場合は、豊かすぎる。豊かすぎるな(笑)。あんな豊かすぎる状態は大変なんだけど。
でも、豊かすぎる状態を日本の人は味わった方が良いと思うな。
だから、俺が教わったのは、そういうすごく音楽以前の生きていく大前提の話で。
その大前提の話が音楽の中に落として考えていけるようになったんだと思う」
        
もうこれ以上長々と書く気にはなれないので、とりあえずここで終えたいと思うけど、とにかく大友さんのこの言葉は、音遊びの会の活動の意義を、非常に上手く表現していると思う。
そして同時に、私たちが今後どんな社会を作り上げていくべきかも明確に示唆している。
そして、自分も大友さんの考え方に、100%同意できる。
こんな感じの第2回でした。
音の城/音の海

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