世の中

教育などについて考えたことを書きます

ハートネットTV「音遊びの会」第1回 まだ見ぬ音を求めて

即興が世界をつなぐ―大友良英と「音遊びの会」の仲間たち―第1回 まだ見ぬ音を求めて
http://www.nhk.or.jp/heart-net/tv/calendar/2013-10/28.html

録画していたハートネットTV「音遊びの会」のロンドン公演の様子を見た。
自分が彼らのライブを観たのは2010年に東京で行われた公演『音の危機一髪!』と、あとは映画『音の城音の海 -SOUND to MUSIC-』を通してでしかないのだけど、久しぶりに観る彼らの姿は以前よりずっとたくましくなっている印象だった。
みんな全く、音を鳴らすことに対して躊躇していない。
音だけじゃなくて、例えば創作ダンスを披露する女性がいるんだけど、その人の動きの迷いのなさなんてただ事じゃない。

自分の、雑念が入りまくったぎこちない動きなんかとは違う美しい身のこなしがそこにあって、心底羨ましいと思えた。
そして、みんなキラッキラの眼差しで表現に向かっていた。
そこで鳴らされる音や眼差しの美しさに、ただただ泣けてしょうがなかった。


自分は音遊びの会を最初に観たときに、これは障碍と健常という構図を、そのまま音と音楽という構図に落とし込んだ試みであると感じた。
私たちはすぐに<障碍>と<健常>を分けて考えるし、また同時に、<音>と<音楽>を分けて考えてしまうところがある。
しかし<障碍>と<健常>も<音>と<音楽>もどちらも明確な境目などないし、あるとすればそれは捉える側の先入観がもたらしたものなのだ。
音遊びの会はその、私たちがの先入観がつくり出している壁を、手探りで少しずつ壊していっている、そんな活動のように思えた。
あれから数年、今度は国境や言葉という壁を壊し始めているんだから凄いね。

本当、久しぶりに彼らの音楽を鳴らしている姿を目にして、あぁ自分はこの価値観スゲー好きだわ、と感じるばかりだった。
もし小学校なんかでも、こういう自由な空気の中での音楽教育が実践されていたら、みんな自己肯定感もりもりで、自由な存在として生きていけるようになるんじゃないだろうか。
それとも、それは虫のいい話でしかないのだろうか。

今日放送される第2回は、グラスゴーでのライブの様子が見られるらしい。
チョー楽しみである。

音の城/音の海

音の城/音の海

 

 

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