世の中

教育などについて考えたことを書きます

都会は狂っている

大阪の実家の最寄り駅近くに洋食店があって、母親に初めて連れられて以来、その場所がとても気に入っている。ふだん、外食する習慣があまりなく、これといって好きな飲食店もない自分の性質からすると、これはとても珍しいことだ(とは言え、まだ2度しか行っていないのだが)。

2度目に行ったとき、自分がこの店のどこに惹かれているのかを改めて考えてみた。洋食店といっても、けっしてお洒落な店ではない。カウンター席しかない店内は薄暗く、殺風景で、壁紙は色褪せきっており、すぐにでも張り替えた方が良いんじゃないかと思えるほどだ。一方、食事はなかなかの味わいで、しっかり修行をされてきた方なんだろうなあという印象である。じゃあ食事に惹かれているのかといえば、それだけじゃない。食事以前に感じる心地よさが確かにあって、それを含めて自分はその空間に惹かれているのだ。じゃあいったい何がそう感じさせているのだろうとなったときに、ふと耳に届く音に改めて気づいた。シャンソンである。その店ではずっとシャンソンが流れているのだ。

シャンソンといっても、大げさなものじゃない。本当に、どこにでもあるような素朴なシャンソンが、ただひたすらに流されているだけ。店主がシャンソン好きなのだろうかとも思うのだが、店内にシャンソンに関連するような陳列物は見当たらない。とにかく、薄暗い店内でシャンソンがひっそり流れているだけ、という以外表現のしようがないのだけど、その状態を自分はとても心地よいと感じているようだった。

自分は音楽好きなこともあって、どんなところに出かけても、まず音に意識がいってしまうところがある。どんな音が鳴っているのか、それは音楽だけの話ではなく、たとえば環境音なども含めて、まず音に耳を澄まし、そしてそこがどんな場所なのかを何となく判断する。音楽が鳴らされているのならば、大まかに種類分けして、どんなものかを判断する。

とは言え、ほとんどの場合、耳を澄ました次の瞬間に待ち受けているのは、耳をふさぐ努力である。特に都会など、たくさんの音楽や宣伝が塊となって耳に届く場所では、意識的に耳をふさぐ努力をしなければ気が狂ってしまうんじゃないかと思えるほどだ。できるだけ耳をふさぎ、聞こえないふりをすることが、唯一生き残れる方法であると心のどこかで思いながら生活しているのが実際だし、とっくにそれが当たり前なことになっていて、もはや意識すらしていないのかもしれない(実際は大きな負担になっているのだろうけど)。

飲食店などに入っても同じことで、ろくでもないJ-POPなどが流れていればとにかく意識的に脳内から排除することに努める。もちろんチェーン店などに入ってまで音楽に期待する方がおかしいし、そもそも最初から期待などしていないのだけど、残念ながら耳は目のようにふさぐことはできないわけで、脳内から排除するためにはそれなりの努力が必要だ。いっそのこと音楽なんて最初からかけなければいいのにと常々思いながら利用している。

比較的洒落た店であっても大して変わらない。そこにはお洒落な空間を演出するような音楽(大抵はブラジル〜クラブ系)が流れているだけであって、そんな目的が見え隠れするなか買い物をしていると、まるで自分がその店舗ごとパッケージングされて誰かに売り渡されてしまうような気分になってくる。

こんな話、全てが今さらなことばかりで、わざわざこんなところに書く必要もないのかもしれない。しかし、先に書いたシャンソンが流れる洋食店で「ああ心地よい」と感じたとき、自分がどれだけ音からストレスを感じながら生活しているのかが改めて理解できたのだ。そこには特定の行動を求めるような意図は込められていないし、とくべつお洒落な空間を演出しようという意図も込められていない(そもそも全くお洒落な空間じゃないのだから)。本当に素朴にシャンソンが流れ、料理人は黙々と料理し、客は黙々と食べる。そのごく自然な状態が、とても特別なものとして自分の心にとどいたのだ。

人は、心地よい状態を知らなければ、自分が何を心地悪いと思っているのかもわからないものだ。自分は久しぶりに心地よい空間を経験することによって、自分がふだんどれだけ我慢して生活しているのかを改めて知ることができた。都会は過剰だ。かつてはその過剰さを含めて楽しんでいたところもあったが、いまはもうそんな余裕など全くない。あらゆる音楽を無頓着に垂れ流すか、もしくは特定の行動を喚起させたり商業空間を演出するものとしてしか消費できない都会など、もはや完全に狂っているとしか思えなくなってしまった。いったい何の意味があって人々はそうまでして音楽をかけ続けるのだろうか。音楽で感動したとかそういうのはもう本当にどうでもいいから、それよりもまず、静けさのもつ豊かさを広く人々は知るべきだと思う。

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