世の中

教育などについて考えたことを書きます

竹村延和『こどもと魔法』

以前にも書いたが、竹村延和が2nd『こどもと魔法』で見せた変化というのは、当時の自分にとってほとんど理解できないものだった。自分にとって竹村延和とは、やはり洗練されたクラブサウンドというイメージがとても強く、『こどもと魔法』についてもその路線を踏襲しているものと考えていたのだ。それが、実際に聴いてみると、前作『Child's View』とは似ても似つかない曲ばかり。唯一耳を引いたのがTrack2の「Travels of Italy」で、それはたぶんボーカルの感触が「For Tomorrow」などと近かったからだろうと思うけど、良いと思えたのはそれぐらいで、他の曲はほとんど理解できない、理解できないどころかいきなり大きな音が鳴ってびっくりするところもあるぐらい*1で、とにかく訳がわからないというのが当時の印象だった。

 

 

 

いま思い返せば自分の音楽的理解力のなさを痛感するばかりのエピソードなのだが、当時の自分はまだまだ音楽的知識も乏しく、特にこの作品で用いられているような現代音楽の手法やミニマリズム、電子音楽の手法についてはそれほど触れた経験がなかったし、何よりも音をそのまま楽しんだり、受け止めたりする感覚自体がまだまだ全然自分の中に根付いていなかったのだろうと思う。抽象的でオープンエンドな音楽に向き合った経験自体がほとんどなかったのだ。

 

そして、そのような戸惑いは、自分以外の人たちにも広く起こったものではないかと感じる。自分の感じ方を広く一般化してしまうつもりはないが、やはり彼はクラブシーンというイメージが強かったし、1st『Child's View』についてもアシッドジャズといったジャンルでのカテゴライズが行われていたのも事実だ(もちろん竹村延和自身はアシッドジャズのつもりなど全くなかったのだけど)。彼の音楽をクラブミュージックという枠組みで捉えてきた人ならば、やはり『こどもと魔法』での彼の作風というのは理解できなかっただろうし、そして自分もそのうちの一人だったと感じる。

 

 

改めて『こどもと魔法』を聴いて感じるのは、竹村延和のDJとしての姿勢である。ミニマル、即興、ブレイクビーツ、コラージュ、ノイズ、現代音楽……このアルバムにおいて竹村延和は数多の手法・ジャンルを行き来しつつ多くの楽曲を構築しているが、そこにある種の重々しさのようなものは全く感じられない。その重々しさとは具体的に言えば、各音楽の生み出された歴史、手法、思想、主張、そういったものに当たるのだろうが、この作品について、そのような類のものはほとんど感じられない。むしろ感じられるのはそういった文脈を排除したところにある、ある種の軽さ、すがすがしさであり、むしろその軽さこそがこのアルバム特有の難解さを生み出しているのではないかと思えるほどだ。そしてそのような現象の背後には、彼のDJ(特にヒップホップDJ)としての姿勢があるのだろう。つまりは音楽を構成する音やフレーズをコンテキストから脱却させ、全く違うコンテキストのもとで存在させるというDJとしての本来的なあり方が、このアルバムのすみずみにまで行き渡っていると感じられるのだ。

 

彼は、インタビューなどでみられた音楽シーンに対する批判的発言などから、何かと求道的・禁欲的なイメージで語られることが多いが、生み出された作品だけを見れば、そこには驚くほどの単純明快さがあると感じる。聴いていて面白い、聴いていて楽しい、聴いていて気持ち良い、そういった単純明快さに基づいて音楽をつくっていくということ、広くジャンルを見渡し、自分の興味に基づいて音楽をつくっていくということを彼はただ追い求めただけという感じがするのだ。もちろん、その姿勢こそが求道的・禁欲的と言われる所以なのかもしれないが、だとすればいったい音楽家はどのような姿勢で音楽をつくれば良いのだろうか。

 

78分49秒に及ぶこのアルバム*2の大半は、96年の夏から半年の間に録音された。場所は竹村延和の個人スタジオである京都のmoonlit studio。大阪から京都に引っ越したのが93年だから、3年目の頃ということになるのだろうか。レコード会社はワーナー。こんなとんがった作品がメジャーのレコード会社からリリースされたというのもまた、いま考えたら本当に面白い。

 

ちなみに、同梱していた自身によるライナーノーツには、こんな言葉が書かれている。「サウンドに戸惑う方もおられるかと思いますが、BGMとしてでも何十回もかけてみてください。毎回違う聴こえ方や発見、日常とは違う時間の感じ方ができるのではと考えています」この作品を手にしてから16年、そのあいだ、自分はこの作品を本当に繰り返し繰り返し聴いたが、確かにそこには毎回違う聴こえ方があり、発見があり、日常とは違う時間の流れがあったと思う。以前の記事にも書いたが、音楽を聴くという行為とは音と聴者の相互作用のプロセスであり、決して一方通行で終わってしまうようなものではない。何よりも『こどもと魔法』こそがそのことを教えてくれたのであり、きっとこれからも、自分はこの作品を通じて様々なことを発見していくことだろう。そして、今後もよりたくさんの人たちに、この作品を通じて様々なことを発見していって欲しいと感じる。

 

こどもと魔法

こどもと魔法

 

 

*1:当時はあの部分が怖くて怖くて、あの部分の手前になると急いで早送りで飛ばしていたぐらいだった。ところがいまでは全くビックリしないので不思議である。

*2:帯には「本CDは長時間収録になっておりますので、お取り扱いにご注意下さい」という文言が書いてある。