美しいものを躊躇せずに堪能する勇気について
ふだんあまり歌詞をまともに聴かない自分のような人間であっても、少しぐらいは心に残る歌詞というのが存在する。
自分にとってそのひとつが、スッパマイクロパンチョップの「シェイク」だ。
というより、この曲が収められたアルバム『カエルに会えてよかった』自体、自分にとっては宝物みたいな歌詞がたくさん収められたものだったりするのだけど、特に、その中でもよく思い出すのがこの「シェイク」だったりする。
こだわりが体からスッとひとりでに抜けるまで
立ち止まって観察することに躊躇しないあの娘
めんどくささ引き受ける君はサイコーに潔い
コスチュームを新しくしたところで何の変わりもない
この歌詞は自分の1日の生活のなか、必ずどこかで脳内で響き渡るのだけど、その理由はたぶん、この歌詞に描かれている女の子のような姿に憧れているからだと思う。
自分はこう見えても臆病な性格で、常に他人からの目を気にして生きているところがある。
その程度が他の人たちと比べてどうなのかはわからないけれど、とにかく自分であまりそういった部分を気に入っていない。
人一倍こだわりがあるはずなのに、他人の目を気にしたり、効率性だとかを優先してしまって、自分のこだわりや興味を優先できないことが多い。
そして、そんな自分が気に入らず、訳のわからない意地を張って、自分のこだわりや興味をないがしろにしていないだろうか、そんな自問を繰り返しながら日々を生きている。
そんなとき、頭の中を流れるのは、この歌詞だ。
ああ自分はこの歌詞に出てくる女の子のように、面倒くささを潔く引き受けて、自分の興味や関心を優先できているのかなって思ってしまうのだ。
そしてそのとき、頭の中で再生される光景がひとつある。
それは大学生の頃、電車の中で起こった出来事だ。
その日、大学に向かう僕は、いつものように特急列車の補助席で、音楽を聴きながら本を読んでいた。
窓からは溢れんばかりの光が差し込んでいて、床にはドアの影が広がっていた。
それは、美しいながらもあくまで日常の光景に過ぎず、僕は特に気にもとめず本に集中していた。
と、そのとき、ふと自分の目にふだんとは違う光景が目に入った。
床に映った影の中に、ふだんは見慣れないかたちの影が1つ浮かんでいて、それがパタパタと奇妙な動きを見せていたのだ。
その様子は、なぜかわからないが、とても美しいと思えるもので、ドキリとしながら僕はその正体を確かめようと、ドアの方に視線を動かした。
正体はすぐにわかった。
それは、ドアガラスにへばりついた、1匹の蛾がつくり出した影だった。
蛾は、外に出たいのか、窓ガラスに向かってパタパタと羽根を動かして、その様子が影となって床に映っていた。
ああなるほど、納得した自分は再度、床の上の影に視線を動かしたのだけど、そのとき、もうひとつびっくりすることが見つかった。
それは、前の補助席に座っている女性だった。
たぶん彼女も自分と同じタイミングで床の上の影に気づき、そして同じタイミングでドアガラスの方に目をやったのだと思う。
そこまでは同じ。
だけど、彼女が自分と違うのが、そのあとすぐにかばんから携帯を取り出して、影の写真を撮ったことだった。
僕は彼女のその行動にびっくりしてしまったのだ。
実を言うと僕は床に映った蛾の影を見つけたとき、とても美しいと思うと同時に、それを写真に撮りたいと思っていた。
そして、ドアガラスの方を見て、再度床に視線を戻したとき、もうその気持ちは「めんどうくさい」という気持ちによってなかったことにされていたのだ。
だからだと思う、自分が彼女の行動にびっくりしてしまったのは。
自分がなかったことにした行動を、すっと当たり前のように、自然にやってのけた女性の行動に、自分は心底驚いた。
そしてその行動の潔さや、自分の美しいという気持ちを大切にする彼女の自然な振る舞いを、自分は床の上の影よりも美しいと思えたのだ。
シェイクの歌詞を思い出すとき、自分は必ずこのときの光景を思い出す。
そして、そのときの女性の行動に、少しでも近づけたかな、と思うのだ。